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古戸越川    -至便な道路への変貌- 

至便:この上なく便利なこと。また、そのさま。「通勤に―な土地」・・・goo辞書より抜粋



長い期間浦和地区の記事を掲載したため、というと責任主体が不明瞭になっていけませんが、見る路地すべて暗渠道に見えてしまう状況にいささかの危機感を覚え、強制的矯正を試みてみました。
今回散策してみたのは、品川区の西側で『品川用水』の末端にあたるところです。旧荏原郡を流れていた『古戸越川(ことごえがわ)』をテーマに2回に分けて記事を記します。

品川区の西地区、豊町や戸越といった地区も暗渠と見まごうような細い路地が浦和と同様にたくさんあるのですが、『古戸越川』の流路は比較的明白な暗渠道となっている箇所が多く、辿りやすいのが特徴です。

この「古戸越:ことごえ」という読みですが、「戸越」を現在では“とごし”というのに対して、かつて(江戸期)は“とごえ”といっていたのだそうです。江戸の中心部から中原街道を下ってきたとき、荏原の地はもうすでに江戸ではなくなっていますよ、という意から、「江戸越:えどごえ」というようになり、いつからか“江:え”が略されて「(江)戸越:とごえ」となったのだそうです。

この『古戸越川』のスゴイところは、肥後細川家の下屋敷に引かれた『品川用水』の水が直接流れていたことにある、と思っています。
まずはごく簡単に『品川用水』についてご説明申し上げます。

江戸時代の初期、仙川組四ヶ村(上仙川村・中仙川村・金子村・大町村:現在の三鷹市・調布市の一部)の水田を潤す用水路として開削された、『玉川上水』からの分水を受けた『仙川養水』より分水を受けるかたちで、1663年(寛文3年)から翌年にかけ、肥後細川家下屋敷(現戸越公園)の庭内泉池用水として開削した『戸越上水』というものがありました。すなわちこの時点では、『玉川上水』の境分水口から『戸越上水』への分岐点である野川分水口までは『仙川養水』、野川分水口から細川家下屋敷までが『戸越上水』であった訳です。
その後、1666年(寛文6年)『戸越上水』が廃止され、品川領二宿七ヶ村(北品川宿・南品川宿・戸越村・上蛇窪村・下蛇窪村・桐ヶ谷村・居木橋村・大井村・二日五日市村)がこれを灌漑用水として利用したいと要請。『玉川上水』の境分水口から野川分水口までの区間と『戸越上水』とを併せて『品川用水』と呼ぶようになりました。

『戸越上水』の廃止理由は定かではないのですが、品川用水沿革史編纂委員会編「品川用水沿革史」によると、泉池用水としては庭内の湧水でこと足りたためであるとか、水路の維持費が莫大なものとなったためとか記されています。しかし、理由のひとつは、『三田用水』の記事・・・クリックして確認)において記した通り、徳川幕府に目を付けられることを恐れてのことではないかと思うのです。肥後熊本藩中屋敷における『三田用水』引水による庭園づくりを中止した時期と『戸越上水』廃止時期はほぼ同時期です。
『古戸越川』に流れる水は、ほんのひとときでも、この邸内の贅沢な庭園の余水だった訳です。

さて、アカデミックな話しはこの辺で終了して、実際の流路を確認していきましょう。
『古戸越川』の源泉は、現「戸越公園」、かつての肥後細川家下屋敷です。

PB15009戸越公園

園内には、立派な滝をもつ池があります。

PB15003戸越公園

PB15005戸越公園

下屋敷には滝を設けていたんですね。きっと中屋敷にも明媚な滝をこしらえたかったのでしょう。
現在は、水を循環して利用しているようですが、かつてはこの余水を『古戸越川』に流しておりました。

公園を抜けてすぐは住宅となってしまっていて、明確な流路は不明瞭なのですが、東急大井町線の線路方向に歩いて行くとすぐに暗渠道の存在に気がつくと思います。

PB15010古戸越川

暗渠道には巨大マンホール。

PB15011巨大マンホ

東急大井町線をくぐります。

PB15013大井町線ガード

ガードをくぐると再び巨大なマンホールが出現し、そのすぐ脇は「東京都道420号鮫洲大山線」の工事個所となっています。

PB15015巨大マンホ2

やがて流路は都道の工事箇所に吸い込まれてしまいます。

PB15017古戸越川

再び流路を歩けるようになるのは、都道の工事用養生壁のすぐ脇からです。

PB15018古戸越川

上掲の写真は下流側から撮影しているのですが、この流路の先(上流側)は工事の養生壁で塞がれており、流路は自転車などの廃棄物置場となっています。
流れは、もう一度大井町線をくぐり、すぐにJRのガードもくぐっていきます。

PB15020古戸越川

PB15022JR第二戸越架道橋

PB15023JR第二戸越架道橋

表示は未だに「横須賀線」となっていますが、現在であれば「湘南新宿ライン」ですね。
第二戸越架道橋をくぐった流れは、狭小な暗渠道となっていき、その先に有名な遺構が待ち受けています。

PB15024古戸越川1

遺構は次回ご紹介させていただくとして、「都道420号鮫洲大山線」の工事は、結構長期にわたるもののようです。この「都道420号鮫洲大山線」は、今回ご説明した『品川用水』の流路で、『三田用水』の流路も活用し、なおかつ、『千川上水』の流路でもあります。見事な人工水路を基とした道路です。
『古戸越川』流域の方たちは、ほぼまちがいなく「都道420号鮫洲大山線」などとは呼ばず、「補助26号(線)」と呼んでおられます。この「補助26号(線)」が「都道420号線」として認知されるのは、完成後のさらにその先のことでしょう。
当分の間、JRの線路下にトンネルを採掘し続けるようですので、完成はまだまだのようです。
この工期が続く間は、『古戸越川』を塞ぐ養生壁も簡単には撤去されないでしょうし、その流路跡がどのように変化してしまうのか確認することもできず、また完成後の姿も想像できません。竣工後は、地元の皆さんにとって至便な道路として活用されるべく、生まれ変わってほしいものですし、その跡地の特定が可能であればさらに言うことはないのですが・・・。

 ※品川用水地図・・・クリックしてご覧下さい。

注)拙ブログにて紹介しております流路地図は、拙ブログに記載している内容をご理解いただくための補助資料として用意しております。第三者に提供したり、共有したりすることを想定して制作しておりません。私的な探究心の備忘録としてご覧願えれば幸いです。また、地図を操作して名称などを表示することは結構なのですが、表示をそのままにされては困ります。見終わりましたらお手数ですが、必ず元あった通りの原状に復して下さいますよう、お願い申し上げます

本文中にてご紹介する人物(キャラ等も含む)は、原則として、敬称を略すことで統一しております。しかし、ちゃらんぽらんな性格故、この原則は必然的になし崩しとなる可能性が高いものとご認識下さい。
敬称を略すことに深い理由はありません。略さないのであれば、できる限り公平性を保ちたいので、全員に何らかの敬称を考えねばならないことが負担になりそうな気がしただけです。基本、めんどくさがりなのです。
あしからずお許し願います。
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Posted on 2015/11/18 Wed. 00:00 [edit]

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コメント

ご無沙汰しております

お久しぶりです。
とうとう藤右衛門川・大河シリーズも終わり(ちょっとさびしいですw)、新シリーズ突入ですね。
このあとも楽しみに拝読させていたえだきます。

さて、大変失礼ながら、ちょっと個別にご相談させていただきたい件があるのですが、よろしければお時間のある時にでも、当方までメールにてご連絡をいただけませんでしょうか。
厚かましいお願いをしてしまって大変恐縮です。どうぞよろしくお願いいたします。

lotus62 #- | URL | 2015/11/24 12:55 * edit *

lotus62様
コメントありがとうございます。
浦和の谷田川、思いのほか長いシリーズになりました。ご覧くださってありがとうございます。
明日11/25午後になるかと思いますが、メールいたします。

わんじん #- | URL | 2015/11/24 20:53 * edit *

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