芝川    -一応別モノと判断しました- 

判断:1.物事の真偽・善悪などを見極め、それについて自分の考えを定めること。「適切な―を下す」「なかなか―がつかない」「君の―にまかせる」「状況を―する」 2.吉凶を見分けること。占い。「姓名―」 3.《judgment/(ドイツ)Urteil》論理学で、ある対象について何事かを断定する思考作用。また、その言語表現。普通は「sはpである」「sはpでない」という形式をとる。・・・goo辞書より抜粋




【埼玉県内に存在する、(まあまあ)著名な河川の源流部を探ろう!】というシリーズを立ち上げました。見沼の排水路である『芝川』の源流部を辿っております。
今回は、「武蔵国郡村誌」の上尾宿の記載部分にある“中悪水”の源流部の暗渠を辿ることに致します。

『芝川』のWikipediaによると、『芝川』の源流部は、“埼玉県桶川市末広を発する流れと桶川市小針領家を発する湧水が芝川の源流とされ・・・・”とあります。
今回紹介する“中悪水”は、後者の“桶川市小針領家を発する湧水”の方です。

という訳なのですが、この“小針領家を発する湧水”がみつけられなくて大変困りました。本当に湧水なんだろうか?何かの間違いじゃないのか、と現地をうろうろしたものです。
結論を申し上げると、結局湧水箇所は特定できませんでした。

P101037芝川源流部

上掲の写真に写る暗渠が、辿ることの可能な最も上流でした。この最上流地点から西に進んだ流れはすぐに左折して南に進みます。南側に折れた部分は、つい最近だと思われますが、隣接する道路とともに流路の工事がなされており、蓋が新しいものに変わっています。

P101031芝川

道路から離れて畑の際を通過するところはやや古めの蓋ですので、決して最近暗渠化された訳ではないようです。

P101032芝川

道路を横切ったところで東に向きを変え、すぐにまた南向きに進んでいきます。

P101036芝川

上掲の写真で見える進行方向の家屋あたりで別の流れと合流し、さらに南下していき、暗渠から開渠へと変わります。

P101003芝川開渠開始部

以下、“中悪水”は南に進み、上尾市の上平公園までは開渠で流れていきます。

残念ながら湧水箇所は発見できませんでしたが、辿ることのできる最上流部の東側にはNTTの施設があり、そこに隣接する道は『綾瀬川』を締め切った「備前堤」の通りだったりします。

綾瀬川起点

備前堤基準碑

『綾瀬川』は『中川』に合流するのですが、『芝川』は『荒川』に注ぐ流れです。この最上流部近辺に、『中川』水系と『荒川』水系の分水嶺があるのでしょう。

分水嶺

まあ、『中川』と『荒川』に分かれたとしても、最終的には『荒川放水路』で合流するのでしょうが、ゴールは一緒でもルートが違うと一応別モノと判断してよいのではないかと思ったりしています。ましてや、『中川』から『新中川』を経て『旧江戸川』へ進んでしまうと東京湾まで出会わなくなってしまいますから....。

 ※芝川源流部地図・・・クリックしてご覧下さい。

注)拙ブログにて紹介しております流路地図は、拙ブログに記載している内容をご理解いただくための補助資料として用意しております。第三者に提供したり、共有したりすることを想定して制作しておりません。私的な探究心の備忘録としてご覧願えれば幸いです。

本文中にてご紹介する人物(キャラ等も含む)は、原則として、敬称を略すことで統一しております。しかし、ちゃらんぽらんな性格故、この原則は必然的になし崩しとなる可能性が高いものとご認識下さい。
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Posted on 2017/03/22 Wed. 00:00 [edit]

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芝川    -海のない埼玉県に大型レジャープールを!- 

大型:物事の内容・規模、また、人物などが他のものより大きいこと。また、そのさま。「―の台風」「―の新人」「―バス」・・・goo辞書より抜粋




突然ですが、【埼玉県内に存在する、(まあまあ)著名な河川の源流部を探ろう!】というシリーズを立ち上げます。今回は見沼の排水路である『芝川』の源流部を辿ることに致しました。
別に意識していた訳ではないのですが、『元荒川』や『藤右衛門川』、『古隅田川』、『鴨川』、『綾瀬川』など、埼玉県内に於いて源流部を探索することは結構以前からやっておりましたし、そもそも一番最初の記事が『多摩川』や『荒川』、『富士川(笛吹川)』の分水嶺という源流地点だったのだと、今さらながらに思い起こしまして、開き直る訳ではありませんが、こんな企画趣旨で不定期になると思いますがシリーズ化してもいいのかなと思った次第なのです。

括弧書きで“(まあまあ)”としているのは、ネタの枯渇を憂うからなのでして、少しでも甘い基準で臨まないとすぐに詰んでしまいそうな気がしたからです。まあいつもの通り、長い眼で可能な限り温かく見守っていただければ幸いな、御眼汚し記事ということでございます。

さて、『芝川』は、延長25.9km、流域面積117.4km2の『荒川』水系の一級河川です。管理起点は、『芝川』が『見沼代用水西縁』の下を横断する付近(右岸:さいたま市北区本郷町、左岸:見沼区砂町二丁目)にありますが、桶川市末広を発する流れと桶川市小針領家を発する湧水が『芝川』の源流とされており、この2本の流れが上尾市本町の「一本杉橋」の北側で合流して、南に流れています。

芝川

『芝川』と呼ぶ由縁は、かつて『見沼溜井』を設ける以前の『見沼』の底地に流れていた河川の源流部が、足立郡芝村(現在の川口市安行領根岸付近)であったことによるものとされています。しかし、『(旧)芝川』は『谷田川(藤右衛門川)』が旧流路である、とする説もあり、“水怒り”以前の水没前の河道がどのようなものであったのかは詳細がわかっておりませんので想像の範疇を超えることができません。
『見沼溜井』から『見沼代用水』を設け、「見沼たんぼ」へと生まれ変わる際に、溜井の最底部に排水用の河道を開削して現在の『芝川』はできましたので、呼称の基となった河川とは全くの別物ととらえるべきなのかもしれません。

過去の記録によれば、「武蔵国郡村誌」の上尾宿の記載部分には、『芝川』のことが“中悪水”と記述されており、「(上尾)宿の北方門前村より来り」とあります。門前村(足立郡門前村)とは現在の上尾市西門前付近のことで、この“中悪水”が桶川市小針領家からの流れであり、

P101001芝川開渠部

もうひとつの桶川市末広からの流れは“坊の下堀”と呼ばれておりました。

IMG_20170310_153446.jpg

『芝川』の管理起点は、『芝川』が『見沼代用水西縁』の下を横断する付近といいましたが、この管理起点より上流部は『芝川都市下水路』と呼ぶことが正式であり、これは“坊の下堀”の方を指す名称です。

1727年(享保12年)の『見沼代用水』の開削に伴い、『芝川』は『見沼溜井』の主要排水路(『見沼中悪水路』)として整備されました。『見沼溜井』を干拓して新田を開発する際の沼地から水を抜くための排水路であった訳です。さらに『見沼通船堀』の運河としても整備され、昭和初期まで東京と埼玉を結ぶ舟運が展開されていました。特に、川口市で鋳物業が発展したのは、物資の輸送路としての『芝川』の存在も大きな要因だったものと思われます。

キューポラのある街

近代の急激な都市化により、『芝川』はその水質を著しく汚濁されているのが現状で、生活排水等の流入が汚濁の主要因となっています。

P101002芝川開渠部

水質の浄化策として、浄化施設の設置の他に、『荒川』の水を希釈用の水として引水し(埼玉高速鉄道の赤羽岩淵駅~浦和美園駅間にパイプが埋設)、水質を改善する処置がなされています。この希釈用の浄化用水は『綾瀬川』、『毛長川』、『伝右川』にも送られているのですが、水量を増やして希釈しているだけなので本質的な浄化とは言い難いものがあります。

さらに、『芝川』は急激な都市化の進行で治水上の問題点も多い河川です。管理起点から下流のほぼ全区間(「青木水門:『旧芝川』と『新芝川:芝川放水路』との分岐点」まで)が、河川保全区域に指定されている特異な河川です。
流域の洪水対策として、『芝川』に新たな流路を設け、排水機能を高めるため、『芝川放水路」が計画されました。この『芝川放水路』は、現在『新芝川』と呼ばれております。
『新芝川』は、『荒川放水路』の開削工事と併行して、治水上の課題改善に向けて取り組まれた埼玉県の「13河川改修」の中の一事業で生まれた人工の河川です。13河川とは、『大落古利根川』、『青毛堀川』、『備前堀川』、『姫宮落川』、『隼人堀川』、『元荒川』、『星川』、『忍川』、『野通川』、『綾瀬川』、『福川』、『新河岸川』と『芝川』です。
当時の埼玉県では、耕地整理事業の拡大等によって河川への排水量が増大しており、治水上の観点からも旧態化した上記河川の抜本的な改修の必要性が叫ばれておりました。一方で、食糧増産が国是だった時代であり、農商務省は1915年(大正4年)に各県知事に対して、食糧増産のための悪水路(排水河川)の改修促進の通達を出しており、排水路の整備によって農業用水を整備・確保する目的のものでした。
埼玉県内の河川は、最終的に東京都の河川を通じて東京湾などに辿りつくものが多く、埼玉県内の排水機能を高めることは、東京都内の洪水の誘発を高めてしまう危険性があります。地方自治体の壁を超えて、治水対策と農業用水の確保と排水性能を高めるためには、1915年の農商務省の通達がある意味埼玉県にとっては“渡りに船”だったはずです。

戦争によって事業の中断がありましたが、1965年に『新芝川:芝川放水路』が完成しています。現在、この『新芝川』を『芝川』の本流としているため、「青木水門」から先のもともとの『芝川』は『旧芝川』と呼ばれています。

青木水門

『新芝川』と『旧芝川』は、川口市南端の「領家水門」で再合流し、「芝川水門」で『荒川:荒川放水路』に合流します。

芝川水門

さて、『芝川』の流域には、都市公園として整備された「さいたま水上公園」があります。埼玉県誕生百年記念事業で1971年7月に県内初の水上公園としてオープンしました。7haの敷地に7種類のプールを擁し、オープン当時は東洋一の規模を誇ったものでした。

さいたま水上公園

かつては、上掲のMAPの中央にある広場部分が流れるプールでした。2001年に流れるプールの営業を取りやめており、その原因は漏水によるものでした。公園完成当時は、国道17号線に大混雑を起こしたものの、周辺にできた数種のレジャー施設との競合に敗れ、ジリ貧となっていたところに老朽化からくる漏水が重なって、流れるプール(冬期はスケート場)の閉鎖となっています。赤字の垂れ流し状態で、漏水の修理に割く費用が捻出できなかったのでしょう。

更には、《海のない埼玉県に大型レジャープールを!》という構想で、親しみやすさを祈念してひらがなの「さいたま水上公園」という名称がつけられたのだと思いますが、所在地は上尾市でさいたま市ではないため紛らわしいとのクレームがあるようです。当時はまだ、さいたま市は存在していなかったので、全くもって想定外だったことでしょう。
“YOU And I計画(与野・大宮・浦和・上尾・伊奈の頭文字をとって命名された合併計画)”の通りに事態が進んでいれば、このようなこともなかったのかもしれませんが、まあ、今となってはタラ・レバの話しですね。

 ※芝川源流部地図・・・クリックしてご覧下さい。

注)拙ブログにて紹介しております流路地図は、拙ブログに記載している内容をご理解いただくための補助資料として用意しております。第三者に提供したり、共有したりすることを想定して制作しておりません。私的な探究心の備忘録としてご覧願えれば幸いです。

本文中にてご紹介する人物(キャラ等も含む)は、原則として、敬称を略すことで統一しております。しかし、ちゃらんぽらんな性格故、この原則は必然的になし崩しとなる可能性が高いものとご認識下さい。

Posted on 2017/03/15 Wed. 00:00 [edit]

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麻布水道    -狐と狸と古代の墳墓と- 

古代:1.古い時代。大昔。いにしえ。「―の物語」 2.歴史の時代区分の一。原始時代と中世との間。日本史では、一般に奈良時代・平安時代をさすが、大和政権時代を含むこともある。世界史では、原始社会のあと、封建社会の成立までの時代をいう。・・・goo辞書より抜粋




『玉川上水余水吐』を紹介したいがために立ち上げた企画である『青山上水』。前回は、『麻布水道東京天文台線』を紹介しました。今回は、最後のテーマである『麻布水道赤羽橋線』について記していきます。

明治期に区の努力で敷設された『麻布水道』ですが、『青山上水』の流れを踏襲した2つの流れの他に、新たに3つの新規流路が敷設されました。今回はその新規流路3つの最後の流れ『麻布水道赤羽橋線』を紹介致します。

「赤羽橋」は、国道一号線桜田通りにあり、『古川』に架かる橋です。

増上寺塔赤羽根

地名の由来は、昔からこの周辺の土地は赤土が多かったため、“赤埴(あかはに)”が転訛した、という説が有力です。
明暦年間(1655-1658)からは、久留米藩有馬家上屋敷が全域を占めており、邸内には江戸で一番高い火の見櫓の他、筑後川の水神を祭神とする水天宮があり、毎月5日の縁日に一般の参詣が許されていました。水中の失せもの探しや安産にご利益があるといわれ、「そうでありまの水天宮」という地口(江戸の言語遊戯の一つ)が流行するほどの人気ぶりでありましたが、1871年(明治4年)有馬邸の移転に伴い青山へ、翌年には日本橋蛎殻町に移転しました。
なお、赤羽橋の北側には河岸があり、毎朝「ちょっと」の間立売を行ったため、“一寸河岸(ちょろがし)”と呼ばれる魚市がありました。

そんな「赤羽根」に向かう『麻布水道』の流れが、以前紹介した「飯倉交差点」から分岐しております。
「飯倉交差点」は外苑東通りでは谷底、桜田通りでは峠の頂上的なパワースポットである、と紹介申し上げましたが、その「飯倉交差点」から南側へ流れは始まります。

P129021赤羽橋線

しばし、桜田通りに沿って進んだ流れは左に折れ、すぐ東側の並行した小径に移ります。

P129026赤羽橋線

左手に眼をやれば、瑠璃光寺や心光院といった寺越しに東京タワーの鉄骨の脚部が見えます。

P129029瑠璃光寺&東京タワー

さらに進むと、とうふ会席料理の某有名店が見えてきます。

P129033とうふ屋うかい

近くには増上寺や東照宮、芝公園があり、巨大な芝丸山古墳などから古代より営まれてきた人類の歴史を感じることができます。
やがて、流れは公道を外れ、芝公園の飛び地のような箇所を抜けて、

P129036赤羽橋線

赤羽橋交差点の手前に至ります。

P129037赤羽橋交差点

赤羽橋の東側にて『古川』に合流します。

P129041合流口

『麻布水道』としての流れは、もしかすると『古川』とは合流していなかったのかもしれませんが、現在は雨水の排出ルートとしてこの流れを活用しているようです。

桜田通り沿いにある鰻の老舗「野田岩」の扱う鰻は、かつて“狐うなぎ”と呼ばれておりました。

野田岩2

天然の鰻故、川で蟹や海老を食し、顔がしまって狐のようだったとかでこのように称せられたとか....。
近所には「狸穴」と呼ばれる地区もあり、狐と狸にゆかりのある当地はさぞかしカオスなところだったのでしょう。
芝公園内の芝丸山古墳は、周辺を束ねる族長の墳墓だったとか(詳細は不明とのこと)で、古代より人類の営みがある歴史的な場所であるだけに、長い間パワースポットとして君臨していたのだろうと思うと、混沌としていても当地のありがたさが格別に思えてくるから不思議なものです。





 ※青山上水地図・・・クリックしてご覧下さい。参考程度にしかなりませんが....。

注)拙ブログにて紹介しております流路地図は、拙ブログに記載している内容をご理解いただくための補助資料として用意しております。第三者に提供したり、共有したりすることを想定して制作しておりません。私的な探究心の備忘録としてご覧願えれば幸いです。

本文中にてご紹介する人物(キャラ等も含む)は、原則として、敬称を略すことで統一しております。しかし、ちゃらんぽらんな性格故、この原則は必然的になし崩しとなる可能性が高いものとご認識下さい。

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麻布水道    -世界的貢献と東西冷戦という皮肉に感じる嫌味な喜び- 

皮肉:1.皮と肉。また、からだ。「六尺の皮肉と共に夜半の嵐に吹き籠めて」〈樗牛・滝口入道〉 2.うわべだけなこと。また、そのさま。皮相。「年を取るに連れて趣味が皮肉になって行くんだね」〈谷崎・蓼喰ふ虫〉 3.遠まわしに意地悪く相手を非難すること。また、そのさま。当てこすり。「辛辣 (しんらつ) な皮肉を言う」「皮肉な口調」 4.期待していたのとは違った結果になること。また、そのさま。「皮肉なめぐりあわせ」・・・goo辞書より抜粋




『玉川上水余水吐』を紹介したいがために立ち上げた企画である『青山上水』。前回は、『麻布水道仙台坂線』を紹介しました。今回は、『麻布水道東京天文台線』について記していきます。

明治期に区の努力で敷設された『麻布水道』ですが、『青山上水』の流れを踏襲した2つの流れの他に、新たに3つの新規流路が敷設されました。今回はその新規流路の2つめの紹介となります。

天文学の発展は、月や星の動きをもとにした暦の作成と深く結びついています。古くから、日本の暦の編纂は国家事業であり、江戸時代には浅草に幕府の天文台が置かれており、そこで暦が作られていました。
明治時代に入ると、何度かの変遷を経て暦の作成は内務省地理局、天体観測は海軍の管轄になります。1874年(明治7年)、港区の飯倉町3丁目(現在の麻布台2丁目)に海軍の観象台(天体や地磁気などの観測を行っていた施設)が設けられました。
やがて、暦の作成と天体観測は再び統合されることになり、これらを担う機関として、1888年(明治21年)、麻布の海軍観象台の跡に「東京天文台」が誕生しました。

東京天文台

暦の作成はもちろんですが、時刻を報せる“報時”も創立当初からの「東京天文台」の仕事とされていました。陸軍が正午を報せるために鳴らしていた大砲(「ドン」と呼ばれていました)の時刻合わせにはじまり、1890年(明治23年)からは有線による“報時”を行っていたそうです。
「東京天文台」は東京帝国大学(現東京大学)の管轄となり、初代天文台長は星学科の寺尾寿教授が兼任しました。
この“東京に初めて設けられた天文台”に向けた流れが『麻布水道』に加えられたのです。短い流路ですが、順を追って辿ってみましょう。

『麻布水道東京天文台線』は外苑東通りのロシア大使館敷地際から始まります。

分岐点

例によって、職質を恐れてロシア大使館やその周囲の警備にあたっている警察官の写真が撮れず、上掲の写真はグーグルマップからのものを掲載しています。
『麻布水道東京天文台線』の流れは、南方向に一直線に進んでいきます。

P122059天文台線

ロシア大使館の敷地を過ぎると、今度は東京アメリカンクラブになります。

IMG_20170122_151909.jpg

ロシアからアメリカという冷戦時代は困ることもあったのでは?と思える配置に興味を覚えつつ、その先を見渡すと突然開けた“原っぱ”と呼びたくなるような空間になります。ここに「東京天文台」はありました。

P122060東京天文台跡

現在は、日本経緯度原点として金属標が設置されています。もともとこの位置には“子午環”という観測機材が設置されていた場所で、1892年(明治25年)に子午環の中心を日本経緯度原点として定めたものです。子午環は、1923年(大正12年)の関東大震災により崩壊してしまったためその跡に金属標を設置し、今日に至っています。

P122064日本経緯度原点

P122065日本経緯度原点

「東京天文台」は現在、行政改革によって、分子科学研究所など4つの国立研究所と統合再編及び法人化され、「大学共同利用機関法人自然科学研究機構国立天文台」になっています。東京都三鷹市に本部を置き、日本各地や国外にも観測施設を設置し、観測業務並びに機器開発、装置運用を実施する機関となっています。

おそらくですが、この「東京天文台」で用いる上水道を供給するために敷設されたであろう『麻布水道東京天文台線』。日本のみならず世界の科学の発展において、重要な役割を担ってきたものであることは疑いようのないものです。
「理科年表」という自然科学に関するデータ集は、世界各国で愛用される本となっており、この編纂を1925年(大正14年)創刊以来、東京天文台時代から現在の国立天文台になっても編纂し続けています。これだけの歴史と伝統、それらの継続によるデータ編纂は、人類に有益なものであり、科学に携わる多くの方々に愛用され続けているといえるでしょう。

東西冷戦の主役ともいえる国の関連施設のすぐ脇に、このような平和に貢献していた場所があったことに皮肉めいた喜びを感じてしまう、嫌味な自分がかわいく感じてしまいます。

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麻布水道    -《医は算術》を示す病院の移転展開- 

算術:1.計算の方法。算法。古くは数学全般をいった。 2.旧制の小学校における教科名。現在の算数がほぼこれにあたる。・・・goo辞書より抜粋




『玉川上水余水吐』を紹介したいがために立ち上げた企画である『青山上水』。前回は、『青山上水』から『麻布水道』に至る顛末を紹介しました。今回は、『麻布水道仙台坂線』について記していきます。

かつて『藤右衛門川』について記しているときに、見るものすべて暗渠道に見えてしまう状況に陥り、リハビリを兼ねて『吉野川』や麻布の地の水路を調べた当時は、このような流れがあることを知りませんでした。ですが、今回改めて仙台坂まで至る水の流れに導かれて再び麻布を訪れてみると、あの当時にはわからなかったいくつかの流れと繋がるのではないか、という、可能性めいたものが見えてきました。

まあ、その可能性については今後、詳細が判明した暁にでも記すことにして、今回は『麻布水道仙台坂線』です。
『麻布水道仙台坂線』は、東京ミッドタウン前交差点で分岐した流れです。

P219002ミッドタウン前交差点

六本木ヒルズ方面に向かって南西に流れは進んでいきます。
流路の右手には港区立六本木西公園があり、

P219007六本木西公園

左手には全日本海員組合本部や塩業会館といった“港区”という呼称を意識できるものがあったりします。

P219009全日本海員組合本部

P219010塩業会館

六本木通りを流れは越えていき、

P219018仙台坂線

六本木ヒルズの縁をかすめるように進んで、

P219020仙台坂線

グランドハイアット東京の脇に出ます。

P219023六本木ヒルズ

通称テレ朝通りを南に進んでいきます。テレ朝通りは、以前紹介した『笄川』の「広尾橋」に至る通りです。

P219032テレ朝通り

こちらも以前篤姫輿入れの行列が通過した通りとして『いもり川』の番外編で紹介致しました。
沿道には櫻田神社や麻布税務署、中国大使館などなどがあります。そうそう、心臓血管研究所付属病院もありますね。

P219024櫻田神社

P219028麻布税務署

P219030中華人民共和国大使館

P219026心臓血管研究所付属病院

この通称テレ朝通りは、おそらくですが、江戸防衛上の重要な道路だったのではないでしょうか。わざわざ真っ直ぐに進めないような直角カーブが途中に設けてあったりします。ちょうどサウナや中国大使館があるところですね。現在はショートカットできるように斜めの道路が設けてありますが、江戸期には律義に直角に曲がる道を通過せざるを得ない仕様になっておりました。

P219029シケイン

P219031シケイン

愛育病院前交差点を流れは左折していきます。
現在、南麻布の施設は「愛育クリニック」となっており、芝浦に新設された「愛育病院」と連携した、周産期医療の専門病院となっています。

P219034愛育クリニック

専門的な語彙ですので簡単な解説を加えておきます。“周産期医療”とは、妊娠22週から生後満7日未満までの周産期における、合併症妊娠や分娩時の新生児仮死など、母体や胎児、新生児の生命に関わる事態が発生する可能性が高い期間における医療対応のことです。
周産期を含め、その前後の期間における医療は、突発的な緊急事態に備えて産科・小児科双方からの一貫した総合的な体制が必要であることから、特に“周産期医療”と表現されています。

愛育クリニックのある愛育病院前交差点を左折した先には、超難関進学校の麻布中学・高校があります。

P219037麻布中高

開渠であれば、この幅広の歩道に心ときめくものもありますが、地中を樋管で進んでいた『麻布水道』では、流路の正確な位置の特定も目視では難しく、ゴールである仙台坂上交差点を目指して歩を進めるのみです。

P219038仙台坂線

仙台坂上交差点から先は市中に設けられた井戸で、蛇口から水道水を求められるようになるのはもう少し先の時代となります。
ゴールの仙台坂上交差点は、こちらも以前セーラームーンで巡る麻布十番、みたいなおちゃらけ特集を組んだ際に紹介しました場所です。

P219041仙台坂上交差点

仙台坂途中にある某国大使館に右翼関係者が凸しておりましたので、ちょっとした警察隊との小競り合いが見受けられましたが、霊南坂での職質事件が記憶にあるので、早々にこの地を退散しております。最終ゴールである仙台坂上交差点周辺の写真が遠景での撮影なのは上記の理由によるものです。


交差点名にもなっている愛育病院は、もともと現天皇陛下の出産を記念し、皇室から下賜された基金をもとに設立された病院で、皇族の利用も多い病院です。港区南麻布という超高級住宅地のど真ん中で、隣は有栖川宮記念公園という絶好の立地条件となっており、まさにセレブ病院として有名になるために生まれてきたような病院といってよいものです。

愛育病院2

同病院の移転先は同じ港区内ですが、海に近い芝浦地区です。かつては倉庫などが点在していた場所であり、少し前のイメージであれば、超セレブ病院が立地する場所という感じではありません。港区の伝統的な高級住宅地は、愛育クリニックがある麻布などのように、比較的海抜の高い地域であることが多いものです。ですが、こうした台地上の地域には、新しくマンションを建てるだけの余裕のあるスペースはあまりありません。
このため、新たに建設されるマンションの多くは、従来はあまり高級とはいわれていなかったエリアに集中して、しかも、土地活用の観点からも高層建築物として建てられることになったのです。これが現在のウォーターフロントなどのタワマンブームといえます。

こうした物件には、セレブな生活に憧れる中間層が多数入居しているといわれ、高級・高額なベビー用品だけでなくウォーターサーバーなどのセレブ御用達な品々を販売する絶好のターゲットといわれています。つまり、芝浦地区のタワーマンションには、セレブな生活に憧れ、これから子供を産むという世代のカップルが、多数移り住んできているといえます。
ブランド産科であるセレブな愛育病院にとっては、最高の顧客層が病院周辺に存在する、ということになります。彼等は、セレブな愛育病院のブランドを高く評価し、多くのお金を落としてくれるはずです。全国的には、少子化で子供向けのビジネスは苦しい状況にありますが、こうした一部の市場では、当分の間、潜在顧客は増える傾向にある、といえます。

一方、欧米の一流ブランドが日本で大衆路線に走っていることに眉をひそめる人は多い、といわれます。愛育病院についても、かつての同病院を知る人からは多少否定的な感想も聞かれるものです。
しかし、ブランドというものの本質は、実は、上流に憧れる中間層でも上の方に位置する人々にどれだけ売ることができるか、という点に集約されます。その意味では、欧米ブランドの日本戦略や愛育病院の展開は、正しいやり方なのではないでしょうか。ただし、大衆化しすぎると、ブランドの持つカリスマ性や優位性が損なわれてしまうので、上手に大衆化しなければならないのが難しい、といえます。このあたりが、ブランドの販売戦略上の重要な舵取りなのでしょう。

同様に、《医は仁術》でしょうが、算術でもあることは、高度な医療の継続的提供上理解できることです。顧客ターゲットの選定は、大事なマーケティング戦術ですので、病院経営においても重要視されるものです。まあ、理屈としてはわかるんですけどね。

 ※青山上水地図・・・クリックしてご覧下さい。参考程度にしかなりませんが....。

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