fc2ブログ

素で笑う戸田だと浦和です(意味不明な回文)    -恩恵は最大となるような開発を- 

恩恵:1.恵み。いつくしみ。「—を施す」「自然の—に浴する」 2.キリスト教で、神の恩寵 (おんちょう) 。・・・・goo辞書より抜粋




大昔にあった縄文海進等の名残で、かつての埼玉県南部は“荒ぶる川(=『荒川』)”や『旧利根川』などにつくられた湿地帯が拡がっており、そこかしこが泥濘(ぬかるみ)でした。
その湿地にいたウナギを始めてかば焼きにしたのが浦和と言われており、今では浦和の名物となり、旧市内には名店と呼ばれる店舗が数多く存在しています。

IMG_20240114_160336.jpg

その湿地帯を農耕地や住宅地に変える努力は、直近の昭和期まで行われており、湿地帯から水を排出するための排水路やその跡(暗渠等)、またそれらを水源としている農耕用の用水路網やその跡が現在も残っています。
この排水路たちをいつか紹介したい、と思っておりましたが、やっと重い腰を上げる時が来たようです。
今シリーズは埼玉県南部の排水路である『笹目川(ささめがわ)』の上流部分とそこに流れ込むいくつかの排水路等を紹介致します。

今回は『旧入間川』の流路を利用した水路である『田島排水路』を辿ります。

IMG_20240218_133634.jpg

『田島排水路』は、さいたま市桜区の西堀と田島を分ける『鴻沼川(鴻沼排水路)』に架かる合野谷(あいのや)橋のそばから始まります。

IMG_20240218_130351.jpg

合野谷橋の北側には合野谷公園があり、その公園の端には『合野谷排水路』が流れています。

IMG_20240218_131603.jpg

IMG_20240218_131542.jpg

この『合野谷排水路』は『旧入間川』の流路で今回紹介する『田島排水路』の上流部分にあたります。
この『合野谷排水路』と『鴻沼川(鴻沼排水路)』を挟んで反対側から『田島排水路』が始まります。

IMG_20240218_131507.jpg

『鴻沼川(鴻沼排水路)』の左岸に小さく開口した穴が『田島排水路』の最上流部です。

IMG_20240218_131816.jpg

『田島排水路』は『鴻沼川(鴻沼排水路)』から南に向って流れていきます。200m強も進むと県道40号さいたま東村山線(志木街道)に至ります。

IMG_20240218_132155.jpg

県道を越えるとカラー舗装に変わります。

IMG_20240218_132215.jpg

この先は公道の歩道部分になっています。

IMG_20240218_132627.jpg

さらにその先では、JR武蔵野線の西浦和支線・武蔵野線本線の高架を潜ります。

IMG_20240218_133028.jpg

IMG_20240218_132945.jpg

『田島排水路』は武蔵野線と交差するだけでなく、排水路本来?の支流ともいえる、いくつもの用水路と出会います。

IMG_20240218_132348.jpg

IMG_20240218_134755.jpg

IMG_20240218_135614.jpg

中でも鹿手袋5丁目にある用水路には斜めに架かる橋があり、用水路網の中でちょっと異彩を放っています。

IMG_20240218_135233.jpg

IMG_20240218_135253.jpg

何のことはない橋なんですけどね。でも、ただの用水路よりも橋が架かっているだけ、ちょっとワクワクしてしまいます。
橋と言えば、『田島排水路』に架かる橋として、はっきり痕跡が残っているものが“観音橋”ですね。

IMG_20240218_140133.jpg

IMG_20240218_135924.jpg

観音橋を過ぎた右岸側には沼影観音堂や三峰神社があります。

IMG_20240218_140254.jpg

サルスベリで有名なお宮さん(三峰神社)ですが、2月の半ばで梅が見頃でした。
左岸側はさいたま市立浦和大里小学校。小学校があるためなのか、排水路の舗装面にはアート作品?が飾られています。

IMG_20240218_140411.jpg

IMG_20240218_140457.jpg

どちらの作品も小学生が描いたものとは思えませんが何なんでしょう? よく判りませんね。
それで、流れの正面にはさいたま市南区役所が見えます。

IMG_20240218_140327.jpg

南区役所の先は武蔵浦和駅。

IMG_20240218_141109.jpg

武蔵浦和駅前では流路が黄色に舗装されています。
駅の東口側で、前回紹介した『別所排水路』と合流して『田島排水路』は終端を迎えます。

IMG_20240218_141029.jpg

『田島排水路』の左岸側は南区鹿手袋(しかてぶくろ)と言います。もともと“尻手袋(しってぶくろ)”と言っておりました。もっと正確にいうのであれば“『鴻沼』の尻手袋”でした。1990年、正式に“鹿手袋(しかてぶくろ)”と呼ばれるようになりました。
『鴻沼』は『鴻沼川』に展開していた沼の名称で、ちょうどJR埼京線の与野本町駅から中浦和駅近くの間に存在していた細長い沼でしたが、現在はほぼ埋め立てられて住宅地となっています。
その『鴻沼』の終端(=尻手:川あるいはある地域の終わりの方にある土地という意味)で袋状の地(=囲繞地:いにょうちを通過しないと外に出られない取り囲まれた地の意)という場所を表しています。
鹿手袋(しかてぶくろ)は、『鴻沼』や『鴻沼川』、『旧入間川』に囲まれていて、隔離されたような場所だったのでしょう。現在はすっかり住宅地に変貌してしまい、かつての面影はだいぶ消失してしまっています。
しかし、遊歩道と化した用水路や現在も所々に存在する灌漑用水路網等を見ていると、水の恩恵だけでなくその脅威に苦しめられたであろうことも、地名として刻まれている事実から想像に及んでしまいます。
願わくば、その害はなるべく少なく、その恩恵は最大となるような開発が進められることを望む次第です。



注)拙ブログにて紹介しております流路地図は、拙ブログに記載している内容をご理解いただくための補助資料として用意しております。第三者に提供したり、共有したりすることを想定して制作しておりません。私的な探究心の備忘録としてご覧願えれば幸いです。

本文中にてご紹介する人物(キャラ等も含む)は、原則として、敬称を略すことで統一しております。しかし、ちゃらんぽらんな性格故、この原則は必然的になし崩しとなる可能性が高いものとご認識下さい。
スポンサーサイト



Posted on 2024/02/28 Wed. 00:00 [edit]

CM: 0
TB: 0

top △

素で笑う戸田だと浦和です(意味不明な回文)    -埼玉ローカルチェーンを堪能- 

堪能:1.十分に満足すること。「おいしい料理を—する」 2.気が済むこと。納得すること。「せめてのことに様子を語り、—させて給 (た) べかし」〈浄・五枚羽子板〉・・・・goo辞書より抜粋




大昔にあった縄文海進等の名残で、かつての埼玉県南部は“荒ぶる川(=『荒川』)”や『旧利根川』などにつくられた湿地帯が拡がっており、そこかしこが泥濘(ぬかるみ)でした。
その湿地にいたウナギを始めてかば焼きにしたのが浦和と言われており、今では浦和の名物となり、旧市内には名店と呼ばれる店舗が数多く存在しています。

IMG_20240114_160336.jpg

その湿地帯を農耕地や住宅地に変える努力は、直近の昭和期まで行われており、湿地帯から水を排出するための排水路やその跡(暗渠等)、またそれらを水源としている農耕用の用水路網やその跡が現在も残っています。
この排水路たちをいつか紹介したい、と思っておりましたが、やっと重い腰を上げる時が来たようです。
今シリーズは埼玉県南部の排水路である『笹目川(ささめがわ)』の上流部分とそこに流れ込むいくつかの排水路等を紹介致します。

今回紹介する水路は『別所排水路』といいます。前々回に『常盤排水路①(仮)』を採り上げましたが、その先の部分で、『別所沼』公園から『笹目川(中央排水路)』までの区間です。『別所排水路』はその一部が“花と緑の散歩道”となっており、季節によっては、地元の方々だけでなく、わざわざ他の地域から当地を訪れて、排水路跡である遊歩道を歩く方も少なくないようです。

IMG_20240114_154748.jpg

『別所沼』公園の南端には県道40号さいたま東村山線(この位置では志木街道と呼ばれる)が走っています。

IMG_20240114_160917.jpg

そこには、橋の欄干であろうと思われるものが歩道橋下にあります。ここから南に向っておよそ1km余りの排水路跡に“花と緑の散歩道”が展開されています。

IMG_20240114_153534.jpg

『別所排水路』は、当初農業用の灌漑用水路として利用されていましたが、JR武蔵野線・埼京線といった鉄道の開通によって農耕地は住宅地に変化したため、御多分に漏れず暗渠化され、都市整備の一環として遊歩道化されました。
『別所排水路』は、流域である鹿手袋(しかてぶくろ)や別所地区の水田だった頃に利用された用水路や、『旧入間川』の流路であった『田島排水路』等の支流を合わせて南に流れます。

西南桜碑

整備に際して、沿岸には桜やアジサイが植栽されたため、綺麗な花を楽しむことができます。特に、1958年(昭和33年)に植えられた桜は“西南桜”と呼ばれ、春先には西南さくら祭りが開催されて大勢の人々が訪問しています。

IMG_20240114_153501.jpg

やがて、JR武蔵野線の高架を潜ると“花と緑の散歩道”は終わりを迎え、武蔵浦和駅前に至ります。

IMG_20240114_152756.jpg

武蔵浦和駅は元々田島信号場だったところです。武蔵浦和駅近辺でJR武蔵野線は先日紹介した大宮支線が分岐したり、千葉方面と大宮方面を通行するための西浦和支線があったりします。各方面へ向かう列車が支障なく運航するよう、武蔵野線側に田島信号場を、大宮支線・西浦和支線の合流先である中浦和駅の前後に別所信号場を設けてありました。現在は、別所信号場にて信号や分岐器を管理。その操作は西浦和駅(浦和西営業統括センター)が行っています。

IMG_20240114_152437.jpg

武蔵浦和駅の東側を通過する『別所排水路』はこの位置で『田島排水路』と合流しています。

IMG_20240114_152420.jpg

駅前のカラータイル舗装から自転車置き場となり、

IMG_20240114_151817.jpg

その先はカラー舗装に変わって行きます。

IMG_20240114_151342.jpg

この辺りではハナミズキが植樹されています。
カラー舗装部分の右岸側にはロッテ浦和工場が展開しています。

IMG_20240114_150745.jpg

埼京線の高架に沿って流れていた『別所排水路』はロッテ浦和球場のそばで左岸に大きく曲がり、

IMG_20240114_150728.jpg

『笹目川(中央排水路)』に合流します。

IMG_20240114_145344.jpg

『笹目川(中央排水路)』の合流部は幅員が拡がっており、水鳥等の繁殖が観られます。

IMG_20240114_150218.jpg

上掲の写真では判りづらくて恐縮ですが、河川敷側にいるサギは幼体のようで、体色がやや灰色がかっていました。

『別所排水路』は武蔵浦和駅という二路線が利用可能な駅前を通過するため、暗渠化後は遊歩道として整備されて多くの人が利用しています。駅前の北側には酒蔵力(りき)や

酒蔵力

娘娘(にゃんにゃん)といった

娘娘

埼玉のローカルチェーン店が出店・営業しています。『別所排水路』というか“花と緑の散歩道”等を散策後にでも、力の味噌だれや娘娘のスタカレーを堪能していただくことも一興かと思います。



注)拙ブログにて紹介しております流路地図は、拙ブログに記載している内容をご理解いただくための補助資料として用意しております。第三者に提供したり、共有したりすることを想定して制作しておりません。私的な探究心の備忘録としてご覧願えれば幸いです。

本文中にてご紹介する人物(キャラ等も含む)は、原則として、敬称を略すことで統一しております。しかし、ちゃらんぽらんな性格故、この原則は必然的になし崩しとなる可能性が高いものとご認識下さい。

Posted on 2024/02/21 Wed. 00:00 [edit]

CM: 0
TB: 0

top △

素で笑う戸田だと浦和です(意味不明な回文)    -その地位はダテじゃないはず- 

地位:1.社会やある組織の中で、人や物の占めている位置。身分や立場など。「高い—に就く」「生産物中、重要な—を占める」 2.存在している場所。位置。「ありゃ、いい—にあるが、誰の家 (うち) なんですか」〈漱石・草枕〉・・・・goo辞書より抜粋




大昔にあった縄文海進等の名残で、かつての埼玉県南部は“荒ぶる川”や旧利根川などにつくられた湿地帯が拡がっており、そこかしこが泥濘(ぬかるみ)でした。
その湿地にいたウナギを始めてかば焼きにしたのが浦和と言われており、今では浦和の名物となり、旧市内には名店と呼ばれる店舗が数多く存在しています。

IMG_20240114_160336.jpg

その湿地帯を農耕地や住宅地に変える努力は、直近の昭和期まで行われており、湿地帯から水を排出するための排水路やその跡(暗渠等)、またそれらを水源としている農耕用の用水路網やその跡が現在も残っています。
この排水路たちをいつか紹介したい、と思っておりましたが、やっと重い腰を上げる時が来たようです。
今シリーズは埼玉県南部の排水路である『笹目川(ささめがわ)』の上流部分とそこに流れ込むいくつかの排水路等を紹介致します。

前々回紹介した『常盤排水路①(仮)』。“①”があるのだから“②”もあるのだろうと予想されていた方々、その期待に応えるべく、今回は『常磐排水路②(仮)』を紹介いたします。

IMG_20240128_140723.jpg

またしても埼玉りそな銀行さいたま本部です。『常盤排水路①(仮)』はここから南西に流れる排水路だったのですが、今回の『常盤排水路②(仮)』は南東に進んで行きます。

IMG_20240128_131602.jpg

上掲の写真に写る道路は国道17号線。見切れていますが、左側に埼玉りそな銀行さいたま本部があります。
左上部から斜めに国道に向かって来る舗道が今回のテーマである『常盤排水路②(仮)』です。埼玉りそな銀行さいたま本部の北側が分水嶺ですね。
国道を挟んで反対側はこんな様子になっています。

IMG_20240128_131215.jpg

遊歩道ですね。
この遊歩道も“常盤緑道”と表示されています。

IMG_20240128_131939.jpg

そのため、『常盤排水路②(仮)』と呼称することにした次第です。
南東に延びていた常盤緑道は国道463号の手間で終了。その先は一般道に紛れてしまいます。

IMG_20240128_131950.jpg

上掲の写真の白い箱状の花壇の右側が常盤緑道。歩道部分が暗渠。止まれの標識の先、植栽の向こう側が国道463号。
因みに国道463号は埼玉県越谷市から入間市に至る、埼玉県の東西を結ぶ一般国道です。埼玉県内のみで完結する唯一の国道です。
『常盤排水路②(仮)』は公道に紛れてしまいましたが、いくばくかの証左は見てとることができます。

IMG_20240128_133323.jpg

上掲の写真の不自然な緑地帯とマンホール。

IMG_20240128_133408.jpg

軽自動車でも通行がやっとといった感のある狭路等々。
国道463号を越えた流れは常盤二丁目と五丁目の境界を北から南に流れます。

IMG_20240128_133533.jpg

新六間道路に至ると、交差点の角には手押しポンプの井戸があります。

IMG_20240128_134025.jpg

一応水を汲み上げることはできるのですが、故障中の表示があります。

IMG_20240128_134058.jpg

新六間道路より南側の歩道部分には、以前紹介したサッカーボールのガードレールが現れます。

IMG_20240128_134131.jpg

そして、末端には浦和レッドダイヤモンズのマスコットキャラであるレディアがいました。

IMG_20240128_134121.jpg

井戸からおよそ100mくらいで常盤公園に至ります。

IMG_20240128_134317.jpg

ここで『岸町西大排水路』に合流します。
さて、レディアをマスコットキャラとしている浦和レッドダイヤモンズですが、1992年の日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)発足時に加盟した“オリジナル10”と呼ばれる10チームの内の1チームであり、熱狂的なサポーターを誇るJリーグ随一のクラブなのです。しかし、2014年のFUJI XEROX SUPER CUPに合わせて行われた“マスコット総選挙”では最下位だった黒歴史?があります。

レディア貯金箱

これは、毎試合ごとに積極的なファンサービスやパフォーマンスを行う他クラブのマスコットと異なり、浦和は“真剣勝負の場だから”というクラブ方針から、マスコットをほとんど露出させていなかった、という事情がありました。実際、当時はレディアよりも埼玉県のマスコットであるコバトンを埼玉スタジアムで見ることが多いような気がしました。
その後、観客数の減少を受けて方針を転換し、レディア達(レディアとフレンディア、シャーレくん、ディアラちゃんのファミリー)をスタジアムに登場させるようになりました。
2012年シーズンでは、チーム20周年を記念してレディア一家が埼玉スタジアム広場にやってくるということで、埼玉スタジアムサブグラウンドで1年に渡りサポーターと触れ合うイベントが行われる予定でしたが、ホーム開幕戦から雨が続き、結局イベントは中止となってしまいました。その結果、レディアは“雨男”扱いされてしまい、責任をとらされる形でホームの埼玉スタジアム広場から出入り禁止にされていました。
いろいろネタを提供してくれるレディアですが、熱狂的なファンに支えられているクラブの愛されるマスコットであるという地位はダテじゃないはずです。一ファンとして、ますますの活躍を祈念しております。



注)拙ブログにて紹介しております流路地図は、拙ブログに記載している内容をご理解いただくための補助資料として用意しております。第三者に提供したり、共有したりすることを想定して制作しておりません。私的な探究心の備忘録としてご覧願えれば幸いです。

本文中にてご紹介する人物(キャラ等も含む)は、原則として、敬称を略すことで統一しております。しかし、ちゃらんぽらんな性格故、この原則は必然的になし崩しとなる可能性が高いものとご認識下さい。

Posted on 2024/02/14 Wed. 00:00 [edit]

CM: 0
TB: 0

top △

素で笑う戸田だと浦和です(意味不明な回文)    -街中で釣りを楽しめる公園- 

釣り:1.魚を釣ること。また、その方法。さかなつり。「—の名人」「鮒 (ふな) —」 2.「釣り銭 (せん) 」の略。「—を渡す」 3.インターネット上の掲示板などで、嘘の情報で多くの人を騙すこと。「原油先物の儲け話は—だった」・・・・goo辞書より抜粋




大昔にあった縄文海進等の名残で、かつての埼玉県南部は“荒ぶる川(=『荒川』)”や『旧利根川』などにつくられた湿地帯が拡がっており、そこかしこが泥濘(ぬかるみ)でした。
その湿地にいたウナギを始めてかば焼きにしたのが浦和と言われており、今では浦和の名物となり、旧市内には名店と呼ばれる店舗が数多く存在しています。

IMG_20240114_160336.jpg

その湿地帯を農耕地や住宅地に変える努力は、直近の昭和期まで行われており、湿地帯から水を排出するための排水路やその跡(暗渠等)、またそれらを水源としている農耕用の用水路網やその跡が現在も残っています。
この排水路たちをいつか紹介したい、と思っておりましたが、やっと重い腰を上げる時が来たようです。
今シリーズは埼玉県南部の排水路である『笹目川(ささめがわ)』の上流部分とそこに流れ込むいくつかの排水路等を紹介致します。

今回紹介するのは『別所沼』です。

IMG_20240114_154938.jpg

『別所沼』は、大宮台地が浸食されてできた谷底低地から湧き出した水が溜まり、沼になったものと考えられています。水田灌漑用水の溜め池として利用されていました。
その沼の周辺は『別所沼公園』として整備されており、公園にはラクウショウ(ヌマスギ)約500本、メタセコイア(アケボノスギ)約330本が植えられています。
整備当初は、松と桜が主に植栽されていましたが、湿地のため成長せず、枯死していったそうです。その後、湿地に強いメタセコイアやラクウショウの植栽によって、現在のような緑豊かな公園となりました。

IMG_20240114_155106.jpg

そもそも、『別所沼』とその周辺を公園として整備するようになったのは、1926年(大正15年)、東京深川の小島長次郎が私財を投じて沼一帯の土地を購入し、桜を植え、藤棚を築いて“昭和園”を開園したところから始まります。
小島長次郎は、茨城県下館(現・茨城県筑西市)出身。幼少にして上京し、当時の原敬内閣の内務大臣である床次竹二郎を世話役に、在野右翼の重鎮と見なされていた頭山満を顧問に迎えて結成された“大日本国粋会”の幹事を務めていました。
創立された“大日本国粋会”は、博徒や土建業者系の壮士たちによる全国的な右翼団体であり、超党派的純国家主義思想団体として、皇室中心主義、アジア主義等や伝統の任侠道を根本信条として行動することを原則とし、総裁には伯爵大木遠吉、会長は村野常右衛門、理事長は中安信三郎が務め、会員数60万と称していました。1945年、太平洋戦争終戦後、GHQにより他の右翼団体と共に解散させられ、紆余曲折合って、現在は特定抗争指定暴力団六代目山口組に加入しています。

IMG_20240114_160430.jpg

小島長次郎は、洲崎遊廓の貸座敷“長生楼”の主人も務めていた関係で、1927年(昭和2年)、深川の洲崎神社から分霊を勧請して、沼に浮かぶ弁天島の『別所沼』弁財天を創建しています。
“「深川狭斜史」野沢一郎/著 雲峯閣書林 1934年”によると、“今や功成り名遂げた小島氏は愈々侠客の本分を發揮して近來は主として公益事業に着々と手を出してゐる。”“浦和方面に約三十萬坪の地所を買入れて昭和園を設立して土地開發に努力する等、そうした事跡は枚挙に追ない程である。”と記されています。
大宮の氷川公園に劣らぬ賑わいであった時期もあったようですが、戦争(第二次世界大戦)の影響もあって荒廃してしまいます。
その後、荒れ果てた“昭和園”を旧浦和市は買い取り、1951年(昭和26年)、『別所沼』公園と改称して都市公園としての整備を始めます。

IMG_20240114_155114.jpg

浦和で初のボート遊びが楽しめる公園と言うことで、その珍しさから乗船を待つ人たちが列をなすほどであり、その最盛期には貸しボートが40隻あったと言います。
しかし、公園整備に思いの外費用がかかってしまい、1956年(昭和31年)、浦和市は『別所沼』公園を埼玉県に寄付・移譲します。

IMG_20240114_155355.jpg

2001年(平成13年)、浦和・大宮・与野市合併によるさいたま市の誕生を記念して、公園の管理権が埼玉県からさいたま市に移管されました。2003年(平成15年)には、さいたま市の政令指定都市移行を記念して、公園の所有権もさいたま市に移管(事実上の返還)されています。

園内には、遊具の備わる児童広場、多目的広場、詩人・立原道浩を記念した“ヒアシンスハウス”、

IMG_20240114_160701.jpg

埼玉県の姉妹州であるメキシコ州から贈られた風の神の像などがある他、

ケッツアルコアトル

別所沼の周囲には足に優しい舗装素材で一周1000mの“トリムコース”も整備されています。

IMG_20240114_154748.jpg

『白幡沼』は巨人(だいだらぼっち)伝説でしたが、『別所沼』には大蛇伝説があります。
言い伝えによると、『別所沼』には沼の底に大蛇が住んでいると言われ、どんなに日照りが続いても水が涸れることがなかったそうです。日照りが続くと、昭和初期の頃まで、カヤで大きな蛇形を作り、何十人もの若者が沼に入って掛け声をあげて長時間暴れ回り、大蛇を怒らせて雨を降らせようとする、雨乞いの儀式が執り行われていたと言われています。

大蛇はともかくとして、『別所沼』は釣りを楽しむことができます。モツゴ(クチボソ)やヌマチチブといった小物からマフナといった魚類の他に、比較的簡単な仕掛けでテナガエビを釣る子供たちの姿も見られます。
ブルーギルのような外来魚も増えているようですが、街中で釣りを楽しめる公園は貴重です。



注)拙ブログにて紹介しております流路地図は、拙ブログに記載している内容をご理解いただくための補助資料として用意しております。第三者に提供したり、共有したりすることを想定して制作しておりません。私的な探究心の備忘録としてご覧願えれば幸いです。

本文中にてご紹介する人物(キャラ等も含む)は、原則として、敬称を略すことで統一しております。しかし、ちゃらんぽらんな性格故、この原則は必然的になし崩しとなる可能性が高いものとご認識下さい。

Posted on 2024/02/07 Wed. 00:00 [edit]

CM: 0
TB: 0

top △

素で笑う戸田だと浦和です(意味不明な回文)    -路線図に掲載されない武蔵野線- 

路線:1.交通機関の、ある地点から他地点に至る道筋。「航空機の—を開く」 2.団体や組織などの運動の基本方針。「協調—に変更する」・・・・goo辞書より抜粋




大昔にあった縄文海進等の名残で、かつての埼玉県南部は“荒ぶる川(=『荒川』)”や『旧利根川』などにつくられた湿地帯が拡がっており、そこかしこが泥濘(ぬかるみ)でした。
その湿地にいたウナギを始めてかば焼きにしたのが浦和と言われており、今では浦和の名物となり、旧市内には名店と呼ばれる店舗が数多く存在しています。

IMG_20240114_160336.jpg

その湿地帯を農耕地や住宅地に変える努力は、直近の昭和期まで行われており、湿地帯から水を排出するための排水路やその跡(暗渠等)、またそれらを水源としている農耕用の用水路網やその跡が現在も残っています。
この排水路たちをいつか紹介したい、と思っておりましたが、やっと重い腰を上げる時が来たようです。
今シリーズは埼玉県南部の排水路である『笹目川(ささめがわ)』の上流部分とそこに流れ込むいくつかの排水路等を紹介致します。

今回は『白幡沼』に注いでいた『岸町西大排水路』から少し西側に流路を持つ排水路を採り上げます。

IMG_20240128_140723.jpg

その流れは浦和区と中央区の境界、浦和区常盤7丁目と中央区大戸4丁目近辺から始まります。流れの始まりの位置には埼玉りそな銀行の本部や研修センターがあります。

IMG_20240128_141600.jpg

この排水路の流路は“常盤緑道”といいます。“さいたま緑の散歩みち”という、地域の健康づくり、公園と緑道の利活用の推進を目的に定められたもので、その中の“『別所沼』公園ルート”に定められた緑道が“常盤緑道”です。

IMG_20240128_141929.jpg

残念ながら、排水路の名前は特定できませんでした。そこで、拙ブログではこの流れを『常盤排水路①(仮)』と呼ぶことに致します。

IMG_20240128_142310.jpg

『常盤排水路①(仮)』は南西に進んで、県道57号さいたま鴻巣線のバイパスを越えます。

IMG_20240128_142413.jpg

写真では全く判りませんが、この地下にはJR武蔵野貨物線大宮支線が走っています。通常のJRの路線図には掲載されてはいない支線です。
流れは県道を渡った先ですぐ右折します。

IMG_20240128_142552.jpg

250mくらい西に流れると左折して再び南に向きを変えます。

IMG_20240128_143001.jpg

この後はひたすら南に、直線的に進みます。

IMG_20240128_143201.jpg

やがて緑道は階段というか歩道橋になります。正確には跨線橋でしょうか。

IMG_20240128_143748.jpg

跨線橋が越える対象は、先程触れたJR武蔵野貨物線大宮支線。

IMG_20240128_144045.jpg

IMG_20240128_143936.jpg

防音のためと思われるコンクリート函渠(かんきょ)、いわゆるボックスカルバートに包まれて内部は見ることができませんが、そばにいて運が良ければ列車の通過音が漏れ聞こえてきます。
ボックスカルバートは暗渠に用いられることが多いものですが、鉄道にも用いられていることが新鮮です。



上掲はちょっと長めの映像ですが、7:10~11:00程度の部分に大宮支線からの風景画像が見られます。ほとんどただのトンネル内で真っ暗なものなのですけどね。さらに後半部分(15:00~)には外から見た映像も編集されています。
JR武蔵野貨物線大宮支線の上に渡る橋は市役所通りの鯛ヶ窪橋です。
鯛ヶ窪橋を抜けて200mくらい進むと裏門通りに至り、その先は『別所沼』公園になります。

IMG_20240128_144446.jpg

『別所沼』公園は、1956年以来県営公園として運営されてきましたが、2003年にさいたま市の政令指定都市を記念して管理がさいたま市に移管されました。
公園のメインとも言うべき『別所沼』は、大宮台地が浸食されてできた谷底低地から湧き出した水が溜まって沼になったもので、100万年前より存在すると言われています。

IMG_20240114_154748.jpg

市街地に大規模な公園の少ないさいたま市内では、貴重かつ人気の高い公園です。公園北部には児童広場や健康エリアがあって、子ども達だけでなく年配の方たちも訪れる公園となっています。次回は『別所沼』についてもう少し詳しく紹介致します。



注)拙ブログにて紹介しております流路地図は、拙ブログに記載している内容をご理解いただくための補助資料として用意しております。第三者に提供したり、共有したりすることを想定して制作しておりません。私的な探究心の備忘録としてご覧願えれば幸いです。

本文中にてご紹介する人物(キャラ等も含む)は、原則として、敬称を略すことで統一しております。しかし、ちゃらんぽらんな性格故、この原則は必然的になし崩しとなる可能性が高いものとご認識下さい。

Posted on 2024/01/31 Wed. 00:00 [edit]

CM: 0
TB: 0

top △

2024-03
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 31