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東京五輪マラソンコース    -作り物の爽快感と作り物にない魅力-     

作り物:1.人の手で実物そっくりに作ったもの。まがいもの。人造物。模造品。「作り物のダイヤの指輪」 2.事実に基づかず、虚構によって作り出した事柄、または文学作品。「何だか小説か―のようで」〈逍遥・当世書生気質〉 3.能や狂言で、舞台に据える簡単な装置。山・舟・宮殿・釣鐘など。小道具にもいう。 4.歌舞伎などの芝居で、舞台装置のこと。大道具。 5.祭礼などで、趣向をこらした人形などの飾りもの。 6.田畑で作るもの。農作物。・・・goo辞書より抜粋




先頃、東京五輪2020のマラソンコースが発表されました。新旧の東京の名所を織り込んだなかなかに心憎いコース設定です。
そこで、このマラソンコースを辿り、コースが横切る廃河川・掘割を紹介し、改めて東京の名所旧跡を訪ねてみよう、という企画に取り組むことに致しました。

『紅葉川』で市ヶ谷駅、『牛込川』で飯田橋駅周辺を辿り、今回は水道橋駅近くを紹介することになります。ここまで総武線各駅停車状態です。

水道橋駅近くを流れる廃河川は『谷端川』です。水道橋駅周辺では『小石川』であったり、『礫川(れきせん)』などと呼ばれていた河川でして、豊島区の粟島神社境内の『弁天池』が水源なのですが、

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『千川上水』の『長崎村分水』が引かれるようになって水量が大幅に増し、それに伴って全流域で水田の開拓が行われたそうです。
関東を流れる河川としては珍しく南北方向の流れを持っていた河川で、

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紆余曲折の後、水道橋の西側で『神田川』に合流します。

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また、『神田川』と合流する寸前に『谷端川』には文京区千石や旧加賀藩上屋敷(現東京大学)などから始まる『東大下水(ひがしおおげすい)』の流れも合流しています。

東大下水⑤

どちらも既に拙ブログに紹介記事をUPしてありますので、詳細はそちらをご確認いただけると助かります。

選手一行は、『谷端川』を渡るとすぐに外堀通りから別れて水道橋交差点を右折し、都道301号線(白山通り)を南に進みます。

水道橋1

水道橋2

水道橋といえば、やはり後楽園。水戸藩の上屋敷だったところです。

水戸黄門

水戸藩といえばやはりこの方、ご存知水戸黄門様でしょう。徳川家康の孫で常陸水戸藩の第二代藩主である徳川光圀さんですね。
綱吉時代の生類憐れみの令により、肉食が禁じられていたにもかかわらず黄門様はどこ吹く風でラーメンを食べていた話しは既に紹介しました(拙ブログ『東大下水』にて)が、この方は良くも悪くもお殿様というか奔放な人でありまして、文化的功績はともかく、後々の藩財政への悪影響はこの方によってもたらされてしまった、といっても過言ではないのです。
まあ、一番の功績としては、紀伝体の日本の史書を編纂したことにあり、「大日本史」を始めとする数々の書籍を出したことです。この「大日本史」の編纂は光圀死後も継続され、結局、広範な文化事業がもともと厳しかった藩の財政へ追い打ちをかけ、さらなる悪化をもたらしたとの指摘がされております。過酷な税の徴収に逃散した農民は絶えなかった、と水戸史学選書にもあり、水戸藩は参勤交代を行わない例外的な藩であることをいいことに、財政への負担軽減のため、歴代の藩主は江戸から水戸へ帰ることはない(というよりできない)状況となりました。このため、常に将軍の傍に居る事から水戸藩主は“天下の副将軍”などと呼ばれるようになるわけでして、自分で原因をつくった呼称を用いて自慢気にドヤ顔を決め、悪人を懲らしめているドラマの黄門様にこちらとしては苦笑せざるを得なかったりするのです。余所の土地でそんなことしてる暇があるなら、自領の領民を救ってやってほしいものですが、それでは視聴率がとれないので某赤坂のテレビ局も史実に基づくようなことはしないのでしょう。あの勧善懲悪の爽快感は捨てられないですよね。皆の期待に応えなければなりませんから。
マラソンの方も時代劇に負けずにきっと高視聴率になるのでしょうね。やはりスポーツは作り物にない魅力を醸し出しますから。

 ※東京五輪2020マラソンコース・・・クリックしてご覧下さい。

注)拙ブログにて紹介しております流路地図は、拙ブログに記載している内容をご理解いただくための補助資料として用意しております。第三者に提供したり、共有したりすることを想定して制作しておりません。私的な探究心の備忘録としてご覧願えれば幸いです。

本文中にてご紹介する人物(キャラ等も含む)は、原則として、敬称を略すことで統一しております。しかし、ちゃらんぽらんな性格故、この原則は必然的になし崩しとなる可能性が高いものとご認識下さい。
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Posted on 2019/04/17 Wed. 00:00 [edit]

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東京五輪マラソンコース    -時代や状況の異なる熱い戦いに高まる緊張感- 

緊張:1.心やからだが引き締まること。慣れない物事などに直面して、心が張りつめてからだがかたくなること。「緊張をほぐす」「緊張した面もち」 2.相互の関係が悪くなり、争いの起こりそうな状態であること。「緊張が高まる」「緊張する国際情勢」 3.生理学で、筋肉や腱 (けん) が一定の収縮状態を持続していること。 4.心理学で、ある行動への準備や、これから起こる現象・状況などを待ち受ける心の状態。・・・goo辞書より抜粋




先頃、東京五輪2020のマラソンコースが発表されました。新旧の東京の名所を織り込んだなかなかに心憎いコース設定です。
そこで、このマラソンコースを辿り、コースが横切る廃河川・掘割を紹介し、改めて東京の名所旧跡を訪ねてみよう、という企画に取り組むことに致しました。

前回、前々回と連続で『紅葉川(外堀)』に注ぐ支流を紹介致しました。この『紅葉川(外堀)』の支流は、今回紹介する流れとともにかつて存在した牛込城を守る掘の役割を担っていたといわれております。
唐突な出だしで大変恐縮です。改めて説明致しますと、牛込地区の台地上にかつて牛込城という城が存在しておりまして、その城郭の南側を『紅葉川』及びその支流が、北側は今回紹介する『牛込川』とその支流が守っていた、とされています。

牛込城は、もともと群馬県の赤城の領主だった大胡氏が始祖で、南関東へ進出後、牛込の姓を名乗るようになった牛込氏の居城跡です。

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牛込氏は小田原の後北条家の家臣でしたが、後北条家が滅んだ後は徳川家康につき、その際にこの牛込城は取り壊しになってしまったそうです。現在、城跡には増上寺の末寺である樹王山正覚院光照寺が存在していますが、城郭の遺構らしきものは残念ながら見当たりません。
その『牛込川』の流れを確認できる最も上流部分が山伏公園のあたりです。

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山伏公園は都道433号線(大久保通り)に面しており、隣には牛込郵便局があります。『牛込川』は神楽坂近辺までこの大久保通りに沿うように流下しております。

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また、山伏公園近辺が分水嶺となっており、ここより西側に移動すると大久保通りは下り坂となり、そこには新宿駅方面から始まる『蟹川』の支流である『市ヶ谷薬王寺町支流(仮)』の流れが都道319号線(外苑東通り)沿いにあります。

『牛込川』に話題を戻しましょう。牛込城跡(光照寺)の西側には箏曲「春の海」で名高い宮城道雄の自宅跡に建てられた宮城道雄記念館があり、

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そのすぐ西側から『牛込川』に注ぐ支流がありました。現在は住宅に紛れてしまい、その流路上を辿ることはできないのが残念です。
その支流からの流れを併せた位置から『牛込川』は勢いを増すかのように下っていき、大久保通りの坂道を降りていきます。ちょうど都営新宿線の牛込神楽坂駅あたりです。

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神楽坂上交差点を過ぎるとすぐに流れは大久保通りから一旦離れて、左折し迂回します。

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銭湯の第三玉の湯を右手に見える位置の左側には駒坂の階段があり、急峻な台地脇を『牛込川』は流れ落ちていることがわかります。

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再び牛込消防署の前で大久保通りに流れは戻るのですが、またしても左に逸れていきます。縁石から左斜めに広がる空地が流れの向きを現しています。

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この後、いかにもな暗渠道に突入します。筑土八幡町交差点から先が都道434号線として整備改修されたため、無くなってしまうのではと懸念された暗渠道が残っていることに安堵感を覚えます。

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暗渠道を抜けると右に折れ、都道434号線を渡って『神田川』に合流します。

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合流寸前にあった不思議なお宅は取り壊されてしまいましたですね。ちょっと残念な気もしますが、時勢というものなのでしょう。
選手一行は、この『牛込川』を直接跨ぐことはないのですが、『牛込川』合流直後の『神田川』を飯田橋交差点先で越えていきます。

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さて、筑土八幡町交差点のそばには筑土八幡神社があります。

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こちらは牛込氏と敵対する関東管領上杉時氏の砦であった筑土城跡だといわれています。まさに『牛込川』を挟んで睨み合いがあった、緊張感溢れる熱い場所だったのかもしれません。
当地では、マラソンのレースも熱戦が繰り広げられていることと思われます。時代も状況も異なるのですが、夏の暑さ同様にHOTな戦いとなっていることを期待しております。

 ※東京五輪2020マラソンコース・・・クリックしてご覧下さい。

注)拙ブログにて紹介しております流路地図は、拙ブログに記載している内容をご理解いただくための補助資料として用意しております。第三者に提供したり、共有したりすることを想定して制作しておりません。私的な探究心の備忘録としてご覧願えれば幸いです。

本文中にてご紹介する人物(キャラ等も含む)は、原則として、敬称を略すことで統一しております。しかし、ちゃらんぽらんな性格故、この原則は必然的になし崩しとなる可能性が高いものとご認識下さい。

Posted on 2019/04/10 Wed. 00:00 [edit]

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東京五輪マラソンコース    -3つめの時代を迎えるおじさんからのお願い- 

願い:1.願うこと。また、その事柄。「願いを聞き入れる」「願いが届く」 2.手続きを踏んで願い出ること。また、その文書。「願いを出す」「退職願い」・・・goo辞書より抜粋




先頃、東京五輪2020のマラソンコースが発表されました。新旧の東京の名所を織り込んだなかなかに心憎いコース設定です。
そこで、このマラソンコースを辿り、コースが横切る廃河川・掘割を紹介し、改めて東京の名所旧跡を訪ねてみよう、という企画に取り組むことに致しました。

4月1日とうとう新元号が発表になりました。

令和

日本の古典である万葉集からの出典ということで、従来の中国の古典より定められた元号とは一味違うものになっています。“好ましいやわらかさ”なんていうイメージなのでしょうかね。まさか3つめの時代(昭和~平成~令和)を迎えることができるなどとは思っても見ませんでした。まあ、2度めの東京オリンピックというのも自分にとってはすごいっちゃすごいのですが....。

本題に戻りましょう。今回も江戸城の外堀となる『紅葉川』に注ぐ支流の紹介です。
その支流は神楽坂にほど近い東京理科大学神楽坂キャンパスの北側から回り込んで『紅葉川(外堀)』に合流します。正確な始まりはよくわかりませんが、神楽坂若宮八幡神社の北側あたりから暗渠道を辿ることができます。

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ちょっと粋な感じのする(あくまでも個人的感想です)暗渠道です。

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左手に銭湯の熱海湯を見るあたりから緩やかに右に弧を描きます。

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東京理科大学の敷地を右に眺めながら『紅葉川(外堀)』に向かって進んでいきます。キャンパスには泉鏡花や北原白秋が住んだ貸家跡があり、案内板が設けてあります。

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選手一行は神楽坂下交差点の寸前でこの支流を渡ります。
右手には『外堀』を不法占拠状態で営業が継続されている(と称される)デッキサイド形式の某デートスポットがあり、若い方で賑わっています。不法占拠についてはカナ○カフェ側の言い分もあると思いますので、この場でこれ以上のつっこみは致しませんが...。

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すぐ脇にある神楽坂は特殊な道路でして、午前中(0時から12時まで)は下りの一方通行路、午後(12時から24時まで)は上りの一方通行路と、時間帯によって進行方向が変化する道路です。

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もっともらしい理由として取り沙汰されるのが、日本列島改造論を展開した田中角栄元総理大臣の御屋敷が目白にあり、国会や自民党本部に行くために午前中は下りに、午後は目白の御殿へお戻りになるので上りの一方通行になる、というものです。もちろんデマです、はい。でも、こんな都市伝説っぽいデマも信じる方がいてちょっと驚きます。
そういえば、東京理科大学神楽坂キャンパス内にある泉鏡花の旧居跡を見ていた際にたまたま通りがかったデートと思しき若い男女の会話が聞こえてしまったのです。
「泉鏡花と北原白秋って同棲してたんだ(笑)」「へぇ~」って...。
「泉鏡花は男だ。何勘違いしているんだよ」と心の中でそっと呟いたものです。
これもアニメの影響なのでしょうね。前回、東京アニメセンターを紹介しましたが、アニメ文化の拡がりと影響力の大きさについて考えさせられてしまいました

泉鏡花

泉鏡花の本名は泉鏡太郎といい、れっきとした男性です。デマではありませんが、改めてアニメの持つ力に脱帽してしまいます。某野良犬の中でさえ異能と称しているのですが、中島敦は虎にはならないし、芥川龍之介もあんなミイラのようなスタンドみたいなモンを体内に飼っているわけではありません。あ、スタンドって別に知らなくてもいいです。大した問題じゃありませんので...。
まあ、フィクションだからそんなこともアリでしょうし、性別の変更とかもあったっていいのですが、それを安易に信じ込んでしまうのはお願いだからやめて下さいね。アニメが悪いのではないのです。アニメがおバカを生むのではなく、おバカをあぶり出しているだけですからね。くれぐれもお間違いの無いように衷心より申し上げておきますです。

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Posted on 2019/04/03 Wed. 00:00 [edit]

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東京五輪マラソンコース    -今回の五輪こそ前回の不手際を解消する機会となるか- 

不手際:手ぎわが悪いこと。物事の処置のしかたや結果がよくないこと。また、そのさま。「司会の不手際で長引く」「不手際な処理」・・・goo辞書より抜粋




先頃、東京五輪2020のマラソンコースが発表されました。新旧の東京の名所を織り込んだなかなかに心憎いコース設定です。
そこで、このマラソンコースを辿り、コースが横切る廃河川・掘割を紹介し、改めて東京の名所旧跡を訪ねてみよう、という企画に取り組むことに致しました。

今回は江戸城の外堀となる『紅葉川』に注ぐ支流の紹介です。『紅葉川』であった外堀部分もソメイヨシノが植樹されており、間もなく花見の盛りを迎えそうな気配となっています。この記事がUPされる頃は、東京は満開だったりしているのかもしれません。

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桜の枝の向こうに見える市ヶ谷フィッシュセンターの釣り堀も平常運転のようです。

選手一行は市ヶ谷見附交差点を過ぎ、右手に外堀を見ながらゴールを目指していきます。左手には、日本が誇る文化であるアニメのための施設、東京アニメセンターがあります。

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しかし、大日本印刷っていろいろなことをやっていますね。子供の頃に歯磨き粉のチューブがラミネートチューブになったとき、これを印刷会社が発明するのかと驚いたものです。秀英社といっていた頃が嘘のような発展ぶりです。

この東京アニメセンターのすぐ先には市ヶ谷田町交差点があります。選手一行が進む外堀通りとの丁字路にあたり、直行する側の道は牛込中央通りといいます。

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この牛込中央通りと並行して、新宿払方町と市ヶ谷砂土原町との境くらいから始まる流れがあります。『砂土原町支流(仮)』と呼ばれる『紅葉川(外堀)』の支流です。

『砂土原町支流(仮)』は、住宅等の建造物に紛れてしまっており、正確な流路を辿ることが困難です。しかし、直行する道路に谷筋が刻まれていたり、

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流路の山側(北側)が石垣だったりするので、ある程度は判別可能です。

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ただし、もうすぐ外堀通りを抜けて『紅葉川(外堀)』に差し掛かる手前にある法政大学市ヶ谷田町校舎は流路上に建造物があるため、正確な流路は不明です。また、校舎周辺は築土により高低差に改良がなされている模様で、そのことも流路を追いにくい状況を生んでいます。

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推測でいうならば、マンホールのある場所が流路(流れは左から右に進行)だと思われるのですが、確証はありません。

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選手一行はこの『砂土原町支流(仮)』を市ヶ谷田町交差点のすぐ先で越していきます。

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さてさて、冒頭でふれました市ヶ谷フィッシュセンターですが、実は国有地の不法占拠状態で営業が行われているものです。この『紅葉川(外堀)』部分を含む江戸城の外堀は、新宿・千代田・港区にまたがっているのですが、管理は千代田区が一括して担当しています。当然、毎年配達証明付きで国有地の返還と原状復帰を求める警告書を郵送しているそうですが、業者サイドは《適正な手続きの下の無償譲渡》を口にし、使用料のつもりとして毎年約10万円を供託金として法務局に納めているそうです。勿論、区の方は受け取っていないようですが....。
こうした違法営業が今も残っているのは、終戦後当時の特殊事情によるもののようです。1964年(昭和39年)の前回の東京五輪を迎えるにあたり、千代田区は水質浄化のための浚渫(しゅんせつ:ドブさらいですね)を理由に釣り堀など(他には弁慶堀の弁慶橋ボート場など)の営業許可を打ち切り、施設の撤去を求めたのですが、今日まで半世紀以上の抵抗が継続されているわけです。今回の東京五輪でこのゴタゴタは解決できるのでしょうか。行政のヤル気があまり現れていないことに危惧しておりますが、まあどっちでもいい話題ですね。

 ※東京五輪2020マラソンコース・・・クリックしてご覧下さい。

注)拙ブログにて紹介しております流路地図は、拙ブログに記載している内容をご理解いただくための補助資料として用意しております。第三者に提供したり、共有したりすることを想定して制作しておりません。私的な探究心の備忘録としてご覧願えれば幸いです。

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Posted on 2019/03/27 Wed. 00:00 [edit]

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東京五輪マラソンコース    -花街の風情に酔う外国人観光客- 

花街:遊女屋・芸者屋などの集まっている地域。遊郭。いろまち。花柳街。・・・goo辞書より抜粋




先頃、東京五輪2020のマラソンコースが発表されました。新旧の東京の名所を織り込んだなかなかに心憎いコース設定です。
そこで、このマラソンコースを辿り、コースが横切る廃河川・掘割を紹介し、改めて東京の名所旧跡を訪ねてみよう、という企画に取り組むことに致しました。

新国立競技場を出て最初に遭遇する河川は『渋谷川(隠田川)』でした。『渋谷川(隠田川)』の水源のひとつである『玉川上水余水吐』と並行するように上り坂を登った先は四谷四丁目交差点、かつて四谷大木戸があった場所です。

PC09040大木戸跡碑

コースと直行する甲州街道には、街道を通って江戸に出入りする通行人や荷物を取り締まるための関所である大木戸が現在の四谷四丁目交差点付近に設けられておりました。地面には石畳を敷き、木戸の両側には石垣を設けていたそうですが、石畳や石垣は交通の障害となったため1876年(明治9年)に撤去されてしまい、現在では何も残っていません。

その四谷大木戸のすぐそばから流れが始まる河川が『紅葉川』です。

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選手一行は外苑西通りを北に進み、四谷四丁目交差点から緩やかな下り坂を駆け下りた先で進路の左側から流れてくる『紅葉川』を渡り、その後再び緩やかな上り坂を駆け、富久町西交差点で靖国通りを右折して市ヶ谷方面に進路を変更します。

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『紅葉川』にはもうひとつ別の水源があって、東京都立総合芸術高等学校付近から始まる流れと

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四谷大木戸からの流れが併さり、ほぼ靖国通りに沿うように進み、その後は外堀通り沿いに流れていき、飯田橋駅そばで神田川と合流する河川でした。市ヶ谷からは江戸城の外堀として利用された河川です。

その東京都立総合芸術高等学校方面からの流れを選手一行は富久町交差点手前で渡り、飯田橋駅付近まで併走します。

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富久町交差点手前で合流した『紅葉川』は、靖国通りに付かず離れずで選手と併走しつつ市ヶ谷方向に進みます。ちょうどこの『紅葉川』がかつての四谷区と牛込区の区境でした。この牛込区と四谷区は『紅葉川』の谷によって寸断されており、現在の防衛省、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地(かつての士官学校と東京陸軍幼年学校)があるために両区を往来するには一度谷筋まで降りるか大きく迂回して回るかの選択を迫られていました。
その後、関東大震災の復興事業として計画だけはされていた橋梁の建設がなされ、1957年に曙橋ができると四谷・牛込間の往来は円滑となりました。

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曙橋を潜ると選手一行は合羽橋下交差点に差し掛かります。左手には中央大学市ヶ谷キャンパスがあり、右手は津之守坂(つのかみざか)です。
『紅葉川』は津之守坂の直前で荒木町からの支流と合流します。
江戸期の荒木町は松平摂津守の上屋敷でした。そこには『策(むち)の池』と呼ばれる池が庭園にあり、『紅葉川』に向かって流れを作り、結構な落差の滝もあったそうです。その滝のまわりに茶屋ができ、歓楽街となり荒木町という花街が興ったそうです。
『策の池』の由来は、一説によると徳川家康がこの池で乗馬用の策を洗ったからだとか...。

津の守弁財天

現在、『策の池』は消失した後再現を果たし、津之守弁財天として祀られています。池の北方のほんの一部分が再現されているそうで、かつての『策の池』は相当な大きさがあったようです。

選手一行は防衛省の前を通り抜け、

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市ヶ谷見附交差点で靖国通りから外堀通りへと進んでいきます。

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『紅葉川』(というか現状は下水道というべきなのでしょうが)は、市ヶ谷見附交差点手前の市ヶ谷八幡町交番付近で江戸城の外堀に合流します。

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『紅葉川』もここから先は外堀です。

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『紅葉川』にほど近い荒木町は、地盤が泥濘みやすかったため、石畳を用いて着物の裾や茶屋の店頭が汚れないように配慮したのだそうです。

荒木町石畳

石畳の敷石は、都電の路盤に用いていたものを廃線後流用したもので、四谷大木戸の敷石は交通のじゃまになって剥がされてしまったのに荒木町の石畳はお姐様方に大層好評だったようです。
そんな荒木町も、他の花街が関東大震災によって営業不可能となっていった中で孤軍奮闘し、戦後も存続していたのですが、1980年代前半にとうとう終焉を迎えてしまいました。
現在は、かつての花街の風情を残したレトロな街として外国人観光客などにも人気がある繁華街となっています。

 ※東京五輪2020マラソンコース・・・クリックしてご覧下さい。

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